2023年2月中旬。祖母が危篤、と連絡を受けました。
とても元気。大声で笑っているところしか記憶にないくらい、明るい祖母。
確かにこの数年で、少しずつ弱っていた。
だけどまさか、この日がこんなに早くやって来るなんて。
まだ意識がなんとかある。いつどうなってもおかしくない。
目は開かないとのことで...。
実家まで300キロ、豪雪地帯。
途中凍結があり、何度もハンドルを取られましたが、必死で運転して向かいました。
実家についてから、母と一緒に病室に向かいました。
病室は、ことりのさえずりが流れていました。
ことりのさえずりは、1/Fゆらぎという癒し効果があります。
だから、部屋は常に無音ではないのだと安心しました。
病室には、同居の家族がちょうど数名、面会に来ていました。
夫であるじいちゃんもいたので、祖母と合わせて話しかけながら最後の音楽療法を行うことになりました。
祖母は目は閉じていましたが、起きていたようで話しかけると少しうなづきました。
最初の曲は「♪富士山」
祖父と祖母は車で遠くまで出かけるのが好きでした。
特に富士山を見に行くのが好きで、沢山の思い出があるといいます。
この曲はちょうど、冬の曲。
季節にも合うということもあり、メロディのみをハープ音で弾きました。
弾きおわると、何かを伝えようと口を動かしていました。
最近は口を動かすこともほとんどなかったとのことで、家族たちは「こんなこともあるんだなぁ」と驚いていました。
…私も、こんなに反応をしてもらえるとは思わず、祖母に話しかけ続けました。
次の選曲は、祖母が好きだった大川栄策の名曲
「♪さざんかの宿」です。
さざんかはちょうど冬の花です。
祖母はあまり歌っている印象はなかったのですが、演歌が好きでよくドライブ中に聴いていたと言います。
しっとりと優しく聴けるようにしたかったので比較的高い音で弾いていました。
するとじいちゃんが、「おら、たけえ音きこえねえ」と言いました。
祖父も祖母は耳は遠くなかったのですが、久しぶりの高齢者ということもあり高い音が癒されるのではと考えてしまいました。
そうか高い音がいいと思っても、高齢者にとっては聴きづらいということがあるんだ…と考え、1オクターブ下げました。
1オクターブ下げると、先ほどよりも曲の中で口を動かしている様子が見られました。
さざんかの宿は以前、祖母が元気だった頃に弾いてあげたことがあります。
もしかしたら思い出して一緒に歌ってくれているのかもしれない。
そう思うと、目頭が熱くなりました。
私の母が「もう1回聴きたい?」と尋ねると、少し遅れて声を出してくれました。
リクエストを何度も訴えてくれて、合計で4回ほど弾きました。
3つ目に用意した曲は「♪ふるさと」
私は祖母の故郷のことも、昔どのような生活をしていたのかも少ししかわかりません。
ですが、故郷を歌っているこの曲を聴けば…
それぞれが思い描く故郷の情景が浮かぶと思ったのです。
じいちゃんも「この曲は懐かしいよな」と、故郷の様子を話してくれました。
ばあちゃんもそのじいちゃんの会話をよく聴いていました。
私は祖母の負担も考え、3曲で終わりの予定でした。
ですが周囲からのリクエストもあり、じいちゃんやばあちゃんの子供が選んだ曲を演奏することにしました。
じいちゃんが選んだのは、2人でよく行ったという湖の曲。
「♪湖畔の宿」です。
私は高齢者施設で音楽療法をやっていたことがありますが、この曲はまだ知りませんでした。
楽譜を見て弾くと、とても素敵な曲だと感じました。
富士山の周りにも富士五湖がありますし、2人にとって特別な曲であったはずです。
そして、最後の曲は私の母がリクエストしました。
美空ひばりの曲集は、高齢者施設で勤めていた頃よく聴いていました。
母曰く、昔好んで祖母もよく聴いていたそうです。
他の曲は音楽が届きやすいよう、メロディのみを弾いていました。
ですがこの曲だけ、伴奏も入れてほしいと要望があったので急遽加えました。
弾いている間不思議なことに、とても音楽に祖母の呼吸が合っているように感じました。
病室へ来る前、私が祖母に合わせなきゃと思っていたのですが…
明るい祖母の前では決して泣かないと決めていたので、感動をどうにか押し殺しました
弾き終わるとすぐ口を動かし、わずかに声を出してくれていました。
母は、
「きっと『この曲知ってる、よく聴いた』って話してるよ」
と教えてくれました。
私もそんな気がしました。
そして家族で音楽にまつわる思い出話をしている時にふと祖母に目を向けると…
なんと、目を開いていたのです。
もう開けることはないと、ここにいる全員が思っていました。
すぐ祖母に駆け寄り、
「遠くから会いに来たよ、ピアノ弾いたよ」と手を振りながら声を掛けました。
ぼんやりとしているようでしたが、たしかにこちらをよく見ていてくれました。
そして再び目を閉じたので、そろそろ昼寝だろうから帰ろう、とじいちゃんがみんなに声をかけました。
「また来るからね」
と祖母の顔を触れながら話したじいちゃんの声に、一番大きな声で返事をしていました。それだけで二人の愛を感じました。
…そして、この数時間後、
祖母は意識がなくなりました。
家族たちには、来てもらってよかった。音楽をやってもらってよかった。私のことをきっと来るのを待っていたんだ。と言ってもらえました。
来る前は私の音楽が負担にならないか、迷惑じゃないか、と考えていたのですが…
そんな風に話してもらえて本当にうれしかったです。
そして次の日の朝方、祖母は息を引き取りました。享年89歳でした。
私に「音楽療法士になりたい」と思わせてくれた祖父母には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
…約3週間経った日、
娘が祖母のことを思い出したようで話してくれました。
「ひいばあちゃんのえをようちえんでかいたら、かなしくてないちゃったの」
娘と祖母が最後に合ったのはおよそ2年前です。
2年前から祖母の調子が崩れてしまい、ショックを受けてしまうかもと娘には合わせずにいました。
「死」について娘に説明するのはとても難しいですが、本人なりに「もう会えない」と考えたようです。
ですが、娘と祖母が楽しく笑う写真が残っているので、すごくひいおばあちゃんを大好きでいてくれました。
娘は卒園し、持って帰ってきたお絵かき帳の祖母の絵を見せてくれました。
私も祖母のことが永遠に大好きです。
祖母のおかげで明るくいられました。
私もそんな祖母のような、存在になっていきたいです。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。